LHCbシンチレーティングファイバートラッカー:卓越した測定能力を備えた新世代トラッカー

粒子物理の発見を追跡する最先端技術

地表深く、地下100 mの広大な空洞に設置されたLHCbシンチレーティングファイバートラッカー (SciFiトラッカー) は、CERNが開発した画期的な測定技術です。このサブ検出器はLarge Hadron Collider beauty (LHCb)実験の重要な構成要素であり、CP対称性の破れやダークマターに関する根本的な疑問に挑むことで、粒子物理の理解を大きく前進させる役割を担っています。

 

2018年12月上旬に行われたLHCb検出器の開放作業の様子。

Credit:Maximilien Brice/CERN

新たなフロンティアを切り拓く

SciFiトラッカーはLHCb実験において極めて重要な役割を担っています。シンチレーティングファイバーによって、衝突から生成された粒子の飛跡を高精度で記録し、優れた空間分解能を提供します。この技術は、特にビューティークォークやチャームクォーク領域における希少事象の測定に不可欠であり、標準模型を超える新たな物理の手がかりを探索する上でも大きな助けとなります。SciFiトラッカーの導入は、粒子物理が進化を続ける中で、測定技術および記録技術の革新がいかに重要であるかを示すものです。

 

LHCb検出器の主要構成を示す断面図

Credit: LHCb

LHCb検出器の主要構成を示す断面図

Credit: LHCb

粒子検出技術をさらに前進させる

SciFiトラッカーの導入は、LHCbの性能向上において大きな節目となりました。従来の「アウタートラッカー (ガス検出器)」と「インナートラッカー (シリコンマイクロストリップ検出器)」の双方を置き換える形で、この単一のSciFiトラッカーが実験全体の飛跡検出能力を飛躍的に高めています。

有機シンチレーター・ファイバーを採用したこの新しい設計により、より薄型で効率的、高性能追跡に最適化されたシステムが実現しました。総面積340 m²をカバーし、70 µmの位置分解能で粒子の通過を測定し、1秒あたり4000万回の相互作用を処理でき、ヒット効率は99%を超えます。これにより、元の検出器よりも高いルミノシティとデータレートに対応できるようになりました。

2021年に実施されたLHCbアップグレード IにおいてSciFiトラッカーが設置された瞬間は、このプロジェクトの技術コーディネーターであるGuido Haefeli氏にとって特別な出来事でした。構想段階から導入まで携わってきた同氏は、「空中に吊り下げられた完全な SciFiトラッカーを見たとき、10年間にわたる努力と協力の結晶が形となったことを実感した」と述べています。

SciFi検出器を構成する12セクションのうち、最初の4つを地下100 mへ降下させる様子。

Credit: CERN

放射線環境への挑戦

放射線はSciFiトラッカーにとって最大の課題であり、LHCが生み出す強烈な放射線環境の中では重要な光検出器が損傷を受ける危険があります。シリコン材料もシンチレーター材料も放射線劣化を受けやすいため、トラッカーは −40°Cの低温で動作させ、放射線損傷を低減しながら高い検出効率を維持する必要があります。この戦略により、4096個のマルチチャンネル検出器アレイは過去3年間にわたり問題なく稼働し、今後の発展に向けた重要な土台が築かれました。

今後を見据えると、2035年に予定されているアップグレード II「Mighty SciFi」では、さらなる放射線耐性の向上を目指します。この新システムでは、液体窒素を用いて検出器を −196°Cまで冷却し、放射線起因ノイズを完全に除去する計画です。また、相互作用率を6倍に高め、より密集した粒子飛跡を処理できるようにし、時間分解能についても1ナノ秒未満の精度を実現する見込みです。

協力が生み出す前進

SciFiトラッカーが直面した課題を克服する上で、浜松ホトニクスとのパートナーシップは極めて重要な役割を果たしました。浜松ホトニクスは粒子物理コミュニティにおける信頼された貢献者であり、そのシリコンフォトマル (SiPM)技術の専門性が、プロジェクト専用に最適化されたMPPCアレイの開発につながりました。

これらの革新的なバットジョインド型デバイスは、デッドエリアの大幅な削減と薄型入射窓の採用によって、データ収集能力を高めています。2017年に導入されたこのMPPC技術は、現在利用可能なSiPMの中で最も高い放射線耐性を備える一方、プロジェクトの野心的スケールに対応可能な大量生産性も兼ね備えています。

「最終製品は本当に素晴らしいデバイスで、その性能は卓越しています」 とHaefeli氏は述べています。さらに続けて、「浜松ホトニクスのカスタマーサポートとの強い関係、そして長年にわたる支援と協力が、この実験の成功の鍵となりました」と語っています。

 

LHCb SciFiトラッカー用シリコンフォトマル (SiPM)。1チャンネルは104個のGeigerモードAPDピクセルを並列接続して構成され、128チャンネルアレイは64チャンネルのダイ2個で構成され、KaptonフレックスPCBに実装されている。SciFi全体では、4096基のSiPM アセンブリ (合計 524,288 チャンネル)が使用されている。

Credit: Guido Haefeli (LHCb SciFiを代表して)

SiPMの主要性能:相関ノイズおよびPDE (光子検出効率)。

Credit: Guido Haefeli, EPFL (LHCb SciFiを代表して)

SiPMの性能:各チャネルのダークカウント率 (DCR)とSciFi検出器領域における放射線環境。

Credit: Guido Haefeli, EPFL (LHCb SciFiを代表して)

今後の展望

SciFiトラッカーの背後にある技術は、高エネルギー物理のみならず、他分野においても大きな可能性を秘めています。標準模型の理解に挑戦し続け、新たな物理の兆候を探索する一方で、有機シンチレーター・ファイバーは他産業を変革し得る応用性を持っています。これらのファイバーは、イオンビームモニタリングや放射線治療の線量モニタリングなど、医療用途を含むさまざまな分野で従来のシリコン検出器に代わる技術として期待されています。SciFiトラッカーおよびLHCb実験によって推進された技術革新は、粒子物理学の枠を超えて私たちの生活を豊かにするものとなるでしょう。

説明用イメージ

広がる発見の可能性

SciFiトラッカーを用いた現在の研究は、すでにバリオン物質と反物質の振る舞いに関する新たな知見をもたらしています。プロトンや中性子といったバリオンは、基本法則において鏡面対称性が破れており、その結果、物質と反物質の相互作用が互いに異なることを示す強い証拠が得られています。これは、ビッグバン後に反物質ではなく物質が宇宙に残った理由を説明する手がかりとなる可能性があります。

科学者たちがこれらの現象をさらに深く理解しようと探究を続けているなかで、基礎物理学における画期的な発見の可能性は依然として大きく広がっています。SciFiトラッカーは、実験技術の進化であると同時に、未知を切り拓くための研究コミュニティ全体の揺るぎない情熱と協力を象徴する存在です。

 

地下空洞内のLHCb Upgrade I検出器前に集まるLHCbコラボレーション。緑・黄・灰・青の構造体は各検出器の支持構造を示す。

Credit: Sune Jakobsen (CERN EP-DT-TP、LHCb SciFiを代表して)